今日は、別のタイトルで書こうとおもってたけど
コメント欄に
「戦わない 争わない 競わない」
というのがあったので、
今日は、このテーマで書いてみたいと思います。
ブログランキングに参加している人が、
「週一回、全員同じテーマで、文章を書く」
とか、そういうのをやったら、面白そうですね。
立ち位置によって、視線の違いがわかるし、協調性が生まれていくるし、
これからダンスを始める人にとっても、とても参考になる。
-----ここからが本題-----
「戦わない 争わない 競わない」に相反するモノがあったとすれば、それはなにか?
わたしは、「平等と差別」だと思ってます。
そして、
個人的に、田舎のダンス教室(都会は知らん!)ってのは、
「平等」と「差別化」という二つの側面で成り立ってると、感じます。
あくまで、わたしの個人的な感想です。
具体的な例を挙げていくと...
高齢者主体のダンスサークルにおける出張レッスンでは、徹底的な平等。
サークルないで、一人の落伍者も出ないように、
「一番レベルの低い人、一番年齢の高い人」に合わせて
時間も平等、レベルも平等な指導こそが、理想とされる。
「みんな平等、同じ基礎。みんなで楽しく踊りましょう!」
無理な指導によって、サークル会員をやめさてはいけない。
これが、ダンス教師における「至上命題」ですね。
いっぽう、本場のダンス教室においては、「差別」の推奨。
ダンスホールは、底辺層の自己流の汚れたダンス。
ダンス教室は、上級国民の英国紳士のきれいなダンス。
メダルテストを受けない人は、悪い箇所を直しただけのダンス。
目出すテストを受けた人は、検定協会お墨付きの正しいダンス。
発表会に出ない人は、正しいけど、美しさに欠けるダンス。
発表会に出る人は、美しく華麗。踊って貰うと「しびれる」ダンス。
競技会に出ない人は、小さくても、正しければそれでいい。
競技会に出る人は、テクニック満載で大きく踊るダンス。
徹底的な差別化を図ることで、利益があがり、客も増える。
目の前に「差別」があれば、多く人は「上」の階級を選ぶから。
現実のダンス教室ってのが、どうなってたかは別として、
「ダンス教室はあこがれ」「ダンス教室は夢」みたいな
底辺層からすれば、すべてが、そういうふうに見えるわけね。
少なくとも20年くらい前(その頃の高齢者はよく知ってる)までは、
この「平等と差別」において、ダンス教室は大繁盛していたはず。
当時のサークル高齢者は「個人レッスンを受けている人」を別格扱いしてたし、
「アマC級」の競技選手を「神様」レベルの天才扱いしてたのも事実。
昔は、「平等」と「差別」という2つの側面の上手に利用して
多くのダンス愛好者を上手に扱ってたのが、昔のプロ教師かな。
昔は、それでよかったんだけど、プロ教師は今でも同じ手法。
だから、あたりまえのごとく、田舎のダンス界は崩壊する。
年月とともに、ある意味「メッキが剥がれた」とも言える。
じゃぁ、昔のプロ教師に
「戦わない 争わない 競わない」
という側面があったのか??
おそらく、そんなものは、存在しなかったように思います。
じゃぁ、これからの社交ダンスには、なぜ
「戦わない 争わない 競わない」
という側面が必要になってくるのか?
それは....
つづきは、また、こんど、書きます。
ほとんど、「気力」だけで文章を書いてますので、
↓↓↓ ランキングの応援、お願いします。
|