9月25日のかがやき練習会
参加者18名という悪夢のような結果になってしまった。
いろんな原因はあるだろうけど、
「主催者が、集客を怠った」
「主催者が、人を集める努力を放棄した」
と、思われるかもしれない。
金沢市内では、毎日(月曜から金曜、そして日曜)に
どこかで公民館パーティをやってる(らしい)。
なので、例えば
かがやき練習会の日程を書いたチラシをもって、
平日昼間の公民館パーティの主催者にお願いして、
チラシを配らせて貰えば、崩壊は免れたかもしれない。
だけど、今回、そのような手法をとっていない。
チラシ配りをしないどころか、
「お誘いあわせ、お越し下さい」も禁止して、
「自己責任で来て下さい」としている。
人が集まらなければ、会を終わらせる。
「最終回」という「主催者にとっての地獄」を選択した。
それは、なぜか??? そこが重要。
「かがやき練習会」は、一つの信念を持ちつつ、
「先生」と呼ばれる「教える立場の人たち」に、
最大限の敬意を表しつつ、行動しているから。
「社交ダンス」というものは、とても奥が深い。
ド素人の思いつきで、カラダを動かしても、
「理想的(合理的な)な踊り」には、なり得ない。
多くの場合、「先生」と呼ばれる人は、
素人が知らないカラダの動きを知っているので、
それを教授してもらうのが、上達の最短ルートである
・・・みたいな事柄が、山ほど存在する。
じゃぁ、地方のダンスの先生は、
ただただダンスだけを教えていればそれでいいのか?
否。
「先生」と呼ばれる「教える側の人たち」は、
地域の変化に対して、敏感に情報収集し、
「どうすれば、地域全体がよくなるのか?」を
「習う側の人たち」に伝えていく必要がある。
その地域の「先生」からの的確な情報によって、
「先生を信頼している生徒」が行動し、
それによって、地域全体が、活性化していく。
悲しいかな、今の石川県は、それとは程遠い状況。
「かがやき練習会」という一つの会が潰れても、
教える側の先生は、なにも感じない(超!不感症)
先生がなにも感じないから、生徒になにも伝わらない。
どう考えても、伝わるわけがない。
「先生」が変わらなければ、将来はあり得ない。
「先生」が変われば、石川県は変わる。
そのために、かがやき練習会(および主催者)は、
一度、「地獄」をくぐり抜けてくる必要がある。
自分自身、石川県で踊ることは出来なくなり
他県のフロアーの片隅で、背中を丸めて遠慮しながら、
他県の愛好者に対して、申し訳なさそうにして、
ほそぼそと、ダンスを続けることになる。
一人の地元のダンス愛好者が、そこまでやっても、
石川県の「先生」は、なにも感じないかもしれない。
高齢者のケツを追い回して、
高齢者をかき集めて、踊らせて、喜んでいるのが
石川県のプロ教師主導の「ダンス普及活動」だとしたら、
石川県は、なにも変わらない。(むしろ崩壊に進む)
それ以前に、そんなプロ教師は、尊敬されなくなるだろう。
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