「社交ダンス」で面白いのは、
・プロ教師が立ち入れない領域
・プロ教師が立ち入ってはいけない領域
・プロ教師が干渉してはいけない領域
みたいなものが存在すること。
「立ち入れない空気が漂っている」場合もあるし
「立ち入る気にすら、ならない」場合もある。
逆に、「プロ教師が入れる領域」なのに
「入ってはいけない」と思い込む場所もある。
プロ教師の「死角」というか「盲点」になるので、
このあたりを、つき止めていくと面白いです。
出来るだけ広い視野で、周囲を見て、
出来るだけ多くの判断材料を得て、行動する。
それが、「上に立つ人」のやるべき行動だけど
「立ち入れない領域」があると、視野が狭くなる。
「自分が立ち入れない場所」の情報は、
「なんらかの方法」で情報収集すればよいのですが、
情報収集を(意識的に)放棄するから、
結果として「暴走」する。
他の人よりも「上」に立つと、
どうしても、見えない「死角」が出来るんだよね。
見えない死角で、悲劇が起きていても気づかない。
昔は、うす暗い「ダンスホール」が乱立してて、
ダンスホールでダンスを始めて、
ダンスホールでダンスを覚えた
ダンス教師にダンスを習ったことはない
という人が多かったはず。
だけど、いまは
ダンスホールでダンスを覚えた人
なんて、存在しない。
特に、男性は、そんなの絶対無理でしょう。
ダンス教師のいる場所でダンスを始め
「ダンス教師」ダンスを習い、
ダンスの上達のためにダンスホールに行く
そんな人が、ほとんどでしょう。
昔のダンスホールは、
「プロ教師が立ち入れない領域、
干渉できない、干渉してはいけない領域」
だったはず。
だけど、今は、ダンスホールも含めて
「ダンスを踊っているほとんどすべてが、
多かれ少なかれ、プロ教師の指導を受けている」
と言っていいはず。
社交ダンス愛好者の「中身」が変わってきてる。
にも関わらず、多くのプロ教師は、それに気づかない。
「プロ教師が立ち入れない領域」は
社交ダンス界から消滅していているはずなのに、
なぜか、プロ教師は、かたくなに視野を狭め、
耳を塞いで「立ち入れない領域」を作り、
意識的に「死角」を作ろうとしているような気がする。
映画 shall we dance? のエンディング、
なんか、変ですよね。 カオス。
ダンスホールで、一流プロ教師が、初心者男性と踊る。
老いも若きも、初心者もトッププロも
同じ基礎で、みんな仲良く、踊りましょう。
・・・みたいな流れ。
一流プロが、ダンスホールで踊ったあと、
ブラックプールでの、ジルバのフォーメーション。
どう考えても、なんか違う。
このあと、ダンスホールは衰退の一途を辿る。
なぜでしょう???
|