「現実は小説より奇なり」ってことばがあるけど、
多くの人が集る社交ダンスは、「奇」の塊みたいなところがある。
社交ダンスを教える先生(いわゆるプロ教師)の中には
「できるだけ、大きな歩幅で踊りなさい」
という先生と
「大きな歩幅で、踊ろうとしてはいけません」
という先生がいる。
生徒が、「超!シンプルに考えた場合」
生徒が、先生のことばを、バカ正直に受け取った場合
結果として、なにが起きるか?
「大きく踊れ!」と習った生徒は、
小さな踊りをする他の教室の生徒を批判し
「大きく踊るな」と習った生徒は、
大きな踊りをする他の教室の生徒を批判する
結果、生徒同士の「つぶし合い」になる。
じゃぁ、それによって、残るのは何か???
大きく踊ろうとしても、大きく踊れない
乱暴で無茶苦茶な踊りをする人と、
カラダをカチンカチンに固めて、
小さく小さくトコトコ歩くような踊りの人
こういう人だけが生き残る。
マトモなヤツが消えていく、最悪なパターン。
これって、いったい誰が、悪いのか?
はっきり言えば、
「多くの人が集る場所」という
「現場」の実態を知らない「プロ教師」の教え方が悪い。
「現場を知らないプロ教師」が教えるから、
多くの生徒が誤解をして、わけのわからんことが起きる。
しかも、わけのわからんことが起きていることに
「現場を知らないプロ教師」は、気づこうともしない。
結果として、最悪な状況が、どんどんエスカレートする。
-*-
じゃぁ、プロ教師は、間違ったことを言っているのか?
といえば、そうではない。
どちらの先生も、言ってることはあってるはず。
プロ教師が言う
「大きく踊れ!」と「大きく踊るな!」は、
まったく正反対の指導でありながら、
実は、まったく同じ意味をもつ。
どちらも、大きく踊ろうとするあまり、
勢いをつけて、相手に向かって突っ込んで行ったり、
おもっくそ床を蹴っ飛ばして、爆走しようとしたり、
そういうことをするな・・・ってこと。
「大きく踊る」ためには「技」が必要なので
(プロ教師が伝授する)「技」を取得するまでは、
大きく踊ろうとしてはいけない。
(プロ教師が伝授する「技」を取得して、
技を使えれば、自然に、大きく踊れるようになる)
という教え方と、
「大きく踊る」ためには「技」を見つけるために、
「大きな歩幅で動く」るためのカラダの使いを、
試行錯誤して見つけるか、もしくは、
プロ教師から「技」を盗み取りなさい。
という教え方。
どっちも、
シロウトの浅知恵で、大きく踊ろうとしても、
騒がしくて、見苦しいだけ。
勢いをつけて相手に突っ込んで行っても、大きく踊れないし
最大パワーで、床を蹴りまくっても、大きく踊れない。
「プロ教師」と呼ばれる人は、
「大きく踊るための技」を持っているんだから、
繰り返しのレッスンの中から、カラダで覚えていくなり
試行錯誤しながら「技」を盗むなりして、
最終的に「技を使って大きく踊る」ことを覚えなさい。
どっちでもいいから、自分の好きな方法で
最終的なゴールを目指せばいいんだろうけど、
先生はアタマが固いから、融通が利かないし、
生徒は、頑固なまでに「素直すぎる」し、
社交ダンス界のトラブルって、そんなんばっかし。
先生も生徒も、高齢化しているから、
「頑固」に拍車がかかって、収拾不能。
手に負えない状況に陥ってる感じだな。
もうすこし、広い視線で、シンプルに考えれば、
解決することって、多いような気がする。
ひごろから、アタマは、柔らかくしておきましょう!
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