人間は常に成長するし、成長する必要がある。
成長するためのヒント、自分の将来を占うためのヒントを探し続ける。
そういう「ヒント」は、思いがけないところで、見つかったりする。
ブログを散策していて、ヒントになるキーワードを見つけた。
「日本舞踊」「師弟関係」「伝統芸能」
なんじゃこりゃ...と思うかもしれないけど、
考えてみると、めちゃくちゃ奥が深い。
まず、わたしは、これからの社交ダンス界は、
「ストリート系ダンスの人たちの考え方に、
鞘寄せ(さやよせ)していくべき」
だと思ってたりする。
テレビでも、ストリート系の人と一緒にやってるし
テレビの番組を作ってるテレビ局の人たちも、
ストリート系のダンスをよく知ってるはず。
だから、つい先日まで、
社交ダンス界は、そう言う方向に、進んでいるのだと思っていた。
でも、つい最近、気づいたことこと。、
もしかしたら、「プロ教師と呼ばれる人たちの考え方」は、
それとは、ぜんぜん違ってるんじゃないかと.....
都会のダンスは知らないので、憶測の範囲だけど、
「師弟関係のある西洋舞踊」支持派と
「師弟関係のない西洋舞踊」支持派
の対立が起きているのだとしたら...
憶測だから、間違ってるかもしれないけどね。
「日本舞踊」は、愛好者が限られいる。
その前提で、どのように、生き残っているか、議論してる。
それと同じように、
社交ダンスも「日本舞踊」と同様に、
「愛好者が限られている」という前提にして
プロ教師同士が、今後の方向性が議論されているんじゃないか?
社交ダンスは「日本舞踊の西洋版」=「西洋舞踊」
社交ダンスなんて、「伝統芸能」なみに、入ってくる人が少ないんだから
「師弟制度なんて、続けてたら、やるヤツ、いなくなるぞ!」
「いやいや、師弟制度がなくなったら、社交ダンスの制度の秩序そのものが壊れるぞ!」
そんな対立を、プロ教師同士でやっているんだとしたら....
どっちに転んでも「社交ダンスの間口を広げよう」という方向を向いてないし、
社交ダンスを「伝統工芸」並みに人が少ないという前提で議論している時点で、
プロ教師同士が、対立しているんだとしたら、根本的に、なにかがおかしい。
考え方の原点は、日本舞踊と同じように
「間口を狭くして、選ばれた人たち、限られた人たちで、やっていこう」
という感じっぽいですね。
奥が深いと言えば奥が深いけど、なんか違うぞ...と。
どっちに転んでも、
「ストリート系ダンス」で上を目指す人たちとの方向性と
「社交ダンス」で上を目指す人との方向性とは、
まったく違った方向性に、
日本のプロ教師たちは、もっていきたいんだと思う。
最終的に、ダンスを始める人が、どちらを好むか???
それは、「ダンスを始める人たち」が決めること。
昔のダンスホールの社交ダンスは、「見るに堪えない踊り」だったかもしれないけど、
活気はあったはずだし、ストリート系ダンスに通じるものがあったんじゃないか?
・・・そんな気がする。
それとは対照的に、限られた人の「日本舞踊」の表舞台での活動と、最近話題の「アマプロ競技会」に、ぴったし重なる部分があるように感じるのは、気のせいだろうか?
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