ことわざに「虎穴に入らずんば虎子を得ず」というのがある。
意味は「身の危険を冒さなければ、成果は得られない」みたいな感じかな。
確かに、それはそうなんだろうけど...
なんか、このことわざ、違和感があります。
考えて見ましょう。
「虎の穴」に入ったときの危険とは、親の虎に食い殺されること。
「虎児を得る」ための目的のために、虎の穴に入っていって
危険を冒して、親元にいる「虎の子供」をさらってくるという話。
そりゃ、親の虎にしてみれば、子供を奪うために、
人間が、虎穴に入ってくれば、必死に自分の子供を守ろうとする。
当然と言えば、当然。
このことわざに違和感があるのは、
そもそも「虎子」つまり「虎の子供」を得ることは可能かもしれないけど、
虎の子供を、奪ってきて、どうするつもりなんだろうか???
...ってこと、
虎穴に入って、虎子を得たとしても、
その虎の子供をペットとして、育てるわけでもあるまい。
なんのために、「虎子を得ようとしている」のか?
そのあたりを見失うと、「あれっ!」と思ってしまいます。
なんとも、不思議なことわざですね。
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ところが、
社交ダンスにおいて、「虎子」に該当するのを「未経験者・初心者」だと仮定すると、
このことわざは、面白い展開をみせてくる。
「あり得ない想定」だったことわざが、現実性を増してくる。
ダンスを教える人間の目標が「初心者を増やす」ことだったとする。
「初心者を増やして、ダンスを活性化させ、最終的に優秀な人材を育てること」だったとする。
どうすれば、「虎子」つまり「初心者」を得ることができるのか?
教える側が「虎穴」に入っていかなければ、「初心者」は集まらない。
教える側が「虎穴」に入っていったとき、はじめて「初心者」が増える。
社交ダンス以外の集団は、この世に山ほどあるのだから、
「初心者」を集めて、社交ダンスを活性化させたいならば、
教える側の人間が「虎穴」つまり、社交ダンス以外の集団に、みずから飛び込んでいって
「そこにいる集団の人たちを、社交ダンスにひっぱって来る」くらいの努力を、
「社交ダンスを教える人たち」は、すべきじゃないかなぁ
....と思ったりする。
悲しいかな、田舎の社交ダンスのプロ教師は、
高齢者を集めて「お山の大将」みたいなことをやってる。
これでは、ダメだと思う。
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