社交ダンスは、いわゆる「西洋の踊り」である。
イギリス人トッププロ に 日本人トッププロが習い
日本人トッププロ に 日本人中堅プロが習い
日本人中堅プロ に 田舎のプロが習い
田舎のプロ に 田舎のアマチュアが習う
この伝承によって、
「西洋の踊り」の特性が 100%受け継がれるのだろうか?
日本人が踊る社交ダンスを、日本人が評価して
「完璧」と感じること人は、多いだろうけど、
なんか違うな! と感じる人はいるはず。
「ダンスは音楽に合わせて踊ればいい」というけれど
日本の音楽、例えば「炭坑節」で、踊ればいいのか?
そうじゃない。
日本人と、西洋人のカラダの使い方は同じなのか?
生活習慣が違うから、同じじゃない。
日本人が馴染みやすいように、
日本人向けにカスタマイズされた
「日本人の日本人による日本人のための社交ダンス」
は、多くの人に親しまれるだろう。
だけど、それに違和感を持つ人は、少なからずいるはず。
初心者でも未経験者でも、そう感じる人はいるはずです。
イギリス人の踊りと日本人の踊りの違いに違和感をもち、
「それは違う、ココが違う」と言う話に対して、
プロ教師は、「完璧に同じだ!」・・・というだろう。
他のスポーツでは、日本人と西洋人、もしくは黒人の違いが研究材料になる。
だけど、社交ダンス界は、そうじゃない。
日本人と西洋人の違いを持ち出すと、「嫌がらせ」を受ける。
だれが、そうさせているのか?
すごく単純な話で
「オレ様の踊りは、完璧にイギリス人と同じである」
といって教えるのと
「教えてるけど、イギリス人と違う部分があるかもしれない」
といって教えるのとでは、
生徒の受け取り方が、まるっきり変わってくる。
日本人と西洋人の踊りは「違う」と感じる人は、違って見えるし、
日本人と西洋人の踊りは「同じ」と感じる人は、同じに見える。
そんな気がする。
日本人と西洋人の違いに着目して、社交ダンスを学ぶのか?
日本人と日本人は同じという前提で、社交ダンスを学ぶのか?
それによって「楽しさの方向性」が、変わってくるはず。
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