コロナウイルスによる、社交ダンスの自粛とオンラインの活性化。
これにより、生き生きしてきたのが「若手のラテン」
絶望的な雰囲気しか生まれてこないのが「スタンダード」
いったい、なにが違うのか?
若手のラテンの先生は「ダンス」を理解しているけど、
ほとんどのスタンダードの先生は、ダンスというものを
理解していないのが、諸悪の根源のように思います。
社交ダンスは、「高齢者への依存体質」がものすごい。
だから、「高齢者のじいさん、ばあさんに嫌われる」という
ことを、なによりも恐れている。ものすごく恐れている。
高齢者に忖度していては、「ほんとうのダンス」は語れない。
こんな動きは、ふつうの高齢者には、無理だと思う。
おそらく、ダンスの初心者がやっても、うまくいかない。
ぎこちない初心者が、先生からアドバイスを貰えたとして
そのアドバイスは
上達するための「ほんとうの、上達のための基礎」
なのか? それとも
「見苦しい! とりあえず、これ、やっておけ!」
的な、妥協の産物としてのアドバイスなのか?
考えながら、先生のアドバイスを受けとると思います。
教える側も、教えて貰う側も、両方のアドバイスが存在
することを認識し、
「いまのは、どっちのアドバイスだろう?」と考えながら
アドバイスを受ける。
暗黙の了解がなりたつ。 そんなもんだと思う。
それに、この動画の先生は「高齢者を恐れていない」し
「高齢者に忖度していない」。
当然といえば当然なんだけど、このことはすごく重要です。
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スタンダードはどうなのか?
多くのスタンダードの先生が、ダメダメなのは、
そういう、おもいきった方向性が、まったく見られないこと。
あたかも、すべての指導が「上達のための基礎」として
語られている・・・・ということです。
ともかく、スタンダードの先生は、高齢者依存がすごい。
どの教室の先生も、多くの高齢者の生徒を抱えているはず。
だから「じいさん、ばあさんに、嫌われたらどうしよう!」
「こんな難しいことできません」といって、生徒が去って
いったらどうしよう。
そんなことばかり考えて、生徒の指導をしているから
「それ、どう考えても、妥協の産物だろ!」
みたいな指導でも、それが如何にも
「上達するための、ほんとうの基礎」
であるかのような指導として、受け取られてしまう。
プロ教師が、高齢者の顔色を伺いながら、
「高齢者に嫌われないことを最優先」して、
「上達の基礎」と「妥協の産物」をごちゃ混ぜにした
指導を行っている現状。
この現状を変えていかない限り、ダンス界は変わらない。
こんなことを続けていれば、どんどん、社交ダンスが衰退
・・・というより劣化していくような気がします。
大切なのは、
「上達の基礎」と「妥協の産物」をはっきり区別すること。
そして、黙っていても、暗黙の了解が発生するのが理想。
自然に、「基礎」と「妥協」の区別が、生徒に伝わっていく。
それが本当の「ダンス」のというものの姿であり、
「本当のダンスの指導」なのだとわたしは思います。
動画を見てる限り、ラテンはそうなりつつあり、夢と
希望が見えてきてるように感じます。
逆に、スタンダードはどんどん状況が悪くなるように
しか思えません。
どうでしょうか? そんなふうに感じませんか?
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