日本の社交ダンスでは、聞いたことがないのですが
「土踏まずのアーチ」というのは、面白い。
「土踏まずのアーチ」があっても、無くても、同じなのか?
「アーチの大きさによって、感覚が変わる」と言う人もいれば、
「アーチを押し潰すことで、安定を図るんだ」という人もいる。
「土踏まずのアーチ」をつくると、カラダを浮き上げるような
体感が得られる。 「浮力」のような体感。
「あっ、それ!確かにあるよね。カラダが軽くなる」と言う人もいれば
「そんなもん、あるわけ、ねぇだろ!」という人もいる。
社交ダンスのプロ教師は、そのあたり、どういう認識を持っているのか?
聞いてみると面白いかもね。
武道やってる人は、どうだろうか?
合気道の師匠レベルの人に聞いてみたら、
どんな答えが返ってくるだろうか?
想定しているのも、面白そうですね。
「土踏まずのアーチ」によって「浮力」を体感きるとしたら
それは、「支え足のアーチだけ」なのか?
「支え足のアーチと、動く足のアーチ、両方」なのか?
どちらだろうか?
じゃぁ、2本の足が、前後に並んでいるとき(CBMP)に、
前側にある足と、後ろ側にある足では、
どちらが「土踏まずのアーチ」を強く感じるのか?
こういうの、考えていくと面白い。
社交ダンスの靴は、靴底が固定されていて、弾力性がないので
常時(←ここが重要)、両方の足の裏に、
靴底と足の裏の間で、「アーチの空間」が作ることができる。
武道で「裸足」では、「すり足」という足裁きによって、
畳と足の裏の間に「アーチの空間」を作ることが可能になる。
「すり足」を外せば、「動く足」の「アーチの空間」は消滅する
ところが、社交ダンスの靴底は、畳と同じ役割を果たすので、
支え足と動く足の両方の足の「アーチの空間」と維持できる。
もっとも、「土踏まずのアーチの空間」が作れるからといって、
作らなければいけない・・・という法律は存在しない。
日本の社交ダンスは、「全員に同じことを教える」前提だから。
レクチャーでは「土踏まずのアーチの空間」には一切触れない。
みんな平等。 違うことをする人はぶっ叩く。
多数派が勝つので、「土踏まずのアーチの空間」を作ろうとする
人は、闇に葬られる。 それが、日本の社交ダンスの黒歴史。
いい加減、こんな「黒歴史」は、変わって欲しい気がする。
|