夜の8時ころ、仮眠しようと、布団に入ったら、そのまま寝てしまったら。
目が覚めたら・・・ あれっ! 日付が変わってない!
いつもなら、まだ起きてる時間だな。
ブログで、プロ教師を批判すると、マジで寿命が縮みます。
間違ったことを書くと、10倍、もしくは100倍になって跳ね返ってくるから。
でも、そんなものが怖くて、ブログが書けるか!!! って話だな。
「日本の社交ダンス」の問題点は、多くの人が
「社交ダンスは、男性がリードして、女性がフォローする」
と認識していること。
さらに、これを湾曲して
「男性は女性をエスコートし、女性はひたすら男性についていく」
ものだと、思い込んでしまうこと。(エスコート=付き添い)
「プロ教師」が、そんなふうに教えるから、社交ダンス界全体が、
おかしな方向に進んでいく。
あたかも、それがダンスのマナー、もしくは社交ダンスを踊る時に
最低限のルールであるかのように、ダンスを語るプロ教師。
素直なヤツほど騙されやすい。「プロ教師」に騙されたヤツは悲惨だな。
じゃぁ、実際は、どうなのか?
美しいカップルというのは「女性は花(華)、男性は黒子」なのである。
女性を最大限に美しく見せ、自分は脇役に徹するのが理想の男性。
たしか、ダンスマンガ(ボールルームへようこそ! だったかな)の
アニメの中でも、似たようなことを言ってたような気がする。
男性は黒子、黒子なのだ。 あくまで「脇役」なのだ!
「脇役」は、偉そうにしてはダメなのだ。
女性に、なにを言われても、我慢・我慢!
女性に逆らったら、その時点で「脇役失格」「黒子失格」なのである。
社交ダンスにおいて、黒子失格は、男性失格を意味する。
で、問題なのは、ここから先。
突然、目の前に、女性のトッププロ(世界最高峰の女の先生)が
現れたとする。 男性は、その女性トッププロを誘うことに成功する。
スローフォックストロットの曲がかかる。
補助足のあと、フェザーステップの一歩目。そして二歩目。
「華」である女性トッププロと、黒子である男性との間に、隙間ができる。
男女のボディコンタクトに「隙間」が出来る。
必死に、隙間を埋めようとしても、埋まらない。
「相手の女性にボディを押しつければ、ボディの隙間が埋まる」とか、
そんな生優しいものじゃない。
上級女性プロのボディの動きに、追従できるシロウト男性なんて、
いたとしてもごくごく少数。
「必死に練習すれば、誰でも、ボディがピッタリくっつく」とか、
そんな簡単なもんじゃない。
ボディコンタクトをあきらめたとき、心の中に「黒子失格!」の烙印が
押される。
「オレは、黒子すら、演じること出来ないのだ!」という挫折を味わう。
「こころの隙間」が、ぽっかり空いて、一生、隙間が埋まらないままに、
死んでいく。合掌!! 社交ダンスというのは厳しい世界なのである。
「社交ダンスというのは、男性は、女性をエスコートする踊りである」
などという妄想は、「なにも知らない初心者の妄想」であったことに、
はじめて気づくことになる。
そして、そこから、「妥協」が始まる。
妥協することこそが、社交ダンスの原点なのである。
妥協に妥協を重ね、「妥協すること」を受け入れたとき、それが
社交ダンスの「最初の一歩」が始まる。
「プロ教師」と称する人間は、生徒に、そういうことを教えるべきだと
思うんだけど、そんなことを教える「プロ教師」など、ほとんどいない。
でも、もしかしたら、どこかに、そういうことを教えてくれるプロ教師に
出会うかもしれない。 出会ったら、幸せ・・・かな。
こんな話、信じるか信じないかは、読者の自由。
社交ダンスは、楽しく踊れば良いんだし、
自分の「ただしい」と感じる、理想のダンスを求めていけば良いと思います。
「ボディコンタクトの隙間が埋まらない」という挫折から
一生、心の隙間を埋めることができずに、死んでいくのも一つの人生。
難しいことを考えずに、好きな人と、楽しく踊るのも、ひとつの人生。
いろいろあって、いいと思います。
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