andoroid のタブレットでのUSBテザリングで、ネットにつなげて
外出先の一室から、ノートパソコンからアクセスしています。
今回は、インナーマッスルその36。
「ボールの上に立つ」ということについて、触れていきたいと
思っていたのですが、ノートパソコンのキーボードが打ちにくいので、
「手抜き版」ということで、今回は雑談です。
歴史が「昭和」から「平成」、そして「令和」と時代が変化していく
のと同時に、社交ダンスも変化していると考えると面白い。
昭和:ダンスホール全盛期
「オレ様は、先生と呼ばれる人に、習ったことなんてないぞ!」
いわゆる、踊りの中で見つけた、自己流ダンスの世界
平成:公民館ダンス全盛期
「子供も高齢者も、初心者も上級者も、同じ基礎で踊りましょう!」
いわゆる、「みんな同じ」統一されたダンスの世界
令和:限られた集団、交流の少ないダンス村でのダンス
一人一人が、「自分が考える、理想の踊り目指しましょう!」
他の人と違うところを主張して、優位性を競い合う世界
急激な高齢化と、急激な衰退からの変化があるとすれば、
「すべての人が同じ基礎」という固定概念からの脱却だと思われます。
カルチャーセンターや公民館サークルで、
「一人の落伍者も出さずに、全員に同じことを教える指導スタイル」
これこそが、平成の社交ダンスの「正しい教え方」であったはず。
すべての人が理解でき、すべての人が賛同し、誰からも反論されない教え方。
それこそが「ダンス指導者が教える、正しい社交ダンスの王道」だと
して、高く評価されたのが、平成の社交ダンス。
平成の社交ダンスにおいては、
ほとんどすべてのダンサーが、
「教えられたことに疑問を持たず、それが正しいと信じて、
忠実に教えられたことを守りながら、踊っている」
なんの疑問も持たずに。
言ってみれば、酸っぱい梅干しが苦手な人がいたならば、
すべての人の梅干しに、大量の砂糖をぶち込んで、甘い梅干しを作る
・・・みたいな感じかな。
「カレーが辛い!」という子供がいたら、全員のカレーに大量の砂糖
をぶち込んで、「これが本場インドのカレーだ!と騙くらかして、
みんなでいっしょに食べる・・・・みたいな感じかな。
そんなこと、やってても、人が減るだけ。
どうせ、このまま、なにもしなければ滅びてしまうんだから、
考え方を変えていけばいい。
酸っぱい梅干しと、蜂蜜たっぷりの梅干しを用意して、
好きな方を選んでもらえばいい。
辛いカレーが苦手な人には、クリームシチューを用意すればいい。
いくつかの食べ物を用意して、選んでもらえばいい。
梅干しもカレーも、砂糖を大量にぶち込めば、すべてのひとが
同じものを食べることができる。
でも、そもそも「全員の食べ物を同じ味」にする必要なんて、ないはず。
社交ダンスも同じ。
「子供から高齢者まで、すべての人が同じ基礎」なんて、
そんな指導方法は、さっさっと、やめた方がいい。
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