今日は、寒かったですね。
昨日は、
「上級な技を身に付けた師匠が、弟子に技を教えること無く、死んでいく話」
という、哀れな話を書いてみた。
本来、「師匠」と呼ばれる人間は、持っている「技」のすべてを「弟子」に伝授してから
「俺様は、もう思い残すことがない!」といいつつ死んでいく・・・・というが、理想。
だけど、「弟子」は、「初心者の時に叩き込まれた、偏った先入観と、異常なまでの執着心」
を捨てることが出来ず、「師匠」が持っている「高度な技」を受け入れることができない。
哀れな話である。
たぶん、この師匠は、死んでも「成仏」できず、誰かの背後霊として、さまようことになる。
日本の社交ダンスは、
「子供も高齢者も、初心者も上級プロも、まったく同じカラダの使い方をする」
という、おかしな大原則が支配している。
そして、
「ダンスの基礎は、現在も、10年前も、100年前も変わらない(進化しない)」
という、スポーツの世界では考えられない「昔の踊りへの信仰」がある。
こういう先入観が、さまざまな歪(ひずみ)や、さまざまな悲劇を生み出す。
そして、「現実は小説よりも、すさまじい」という、リアルなドラマが生まれる。
自分の置かれている立場と、違う立場で社交ダンスを見てみると面白い。
自分と違う視線で、「社交ダンス」の世界を眺めてみると、いろんなものが見えてくる。
そんな「社交ダンスの世界」の中の歪が生み出す悲劇の数々、
「ダンス八景」として、描いたら、面白いことになりそう。
機会を見て、8つほど、例をあげてみようかな。
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