人間のカラダには「大きくて重たい塊」かいくつか存在する。
「塊」を動かすと、カラダ中の筋肉がフォローに入り、カラダ全体がその方向に動く。
大脳を動かしても、肝臓を動かしても、(中身が詰まった)小腸を動かしても、
どれを動かしても、カラダ全体が動く。
どの塊をう後kしても、カラダが前方に進むのであれば、どれを動かすのが良いのか?
人間は、生まれてから数十年間にわたる日常生活の中で、カラダを動かし続けてきた。
ひとりひとり、得意な動き、不得意な動きというものが出てくる。
「社交ダンスにおける、カラダの動かし方」も、いくつかのタイプに分類される。
社交ダンスは、「踊ったときに楽しいと感じる」ことが、もっとも重要であり、
それと同時に(ペアダンスなので)「踊っている相手にも、楽しいと感じてもらう」
これが、社交ダンスにおいては、もっとも大切なことである。
「肝臓(かんぞう)」という「人間のカラダの中で一番大きな臓器」である。
肋骨、つまり「胴体の籠」の中央~右下の部分に居座っている。
肝臓の中には筋肉がないので、「胴体右側の上部と下部とを、事実上分断させている
塊」だともいえる。
社交ダンス(スタンダード種目)では、男女が向かい合って立っています。
自分の正面に相手がいるわけではなく、自分のボディの右側に相手がいる。
ということは、お互いの「肝臓」同士が、向かい合っているということです。
言い換えれば、社交ダンスのカラダ動き・・・というより、自分の肝臓の動きが、
的確に、相手に伝わるということですね。
向かい合った二人の肝臓の動きが、合理的に交わりあって、滑らかに動いていく。
これを、業界用語で「リード&フォロー」といいます。
・・・だよね? 違うのかな? 違ってたら指摘してください >プロの先生
では、3つの「大きくて重たい塊」を動かすときのカラダの動きを、
「肝臓」の動きに着目しながら確認してみたいと思います。
繰り返しますが、社交ダンス(スタンダード種目)においては、ふたりの肝臓が
向かい合って、ふたりの肝臓が「超!至近距離」で、同時に移動します。
アタマを倒せば、自然に片方の足が前に出出て、カラダ全体が進む。
このとき、肝臓は前方に飛び出そうとします。
肝臓は右にあるので、右足を前に出すと、右側にある肝臓も前に出るので、
カラダ全体が大きく前に進みます。
左足を前に出す時(ワルツの補助足が典型)には、右側にある肝臓が前に出るか、
カラダが前に出ないかどちらかになります。
だから、肝臓を前に出しながら、カラダに回転を掛ける動作を加えます。
(中身が詰まった)小腸を前方に運んでいけば、カラダ全体が前方に進んでいく。
社交ダンスの男性の「胴体」と「アタマ」は地面に垂直に伸びているので、
小腸を運んでいけば、姿勢を崩さずに、カラダ全体を動かすことが出来ます。
膝と足首を深く曲げてから、踵を持ち上げながら、膝と足首を一気に伸ばしていく。
膝と足首の屈伸によって、カラダを前方に送り出す。
肝臓は小腸のよりも上にあるので、「肝臓を、押し蓋のように、沈み込ませる」
ことによって、膝と足首の屈曲・伸展を最大化・最適化させることできます。
横隔膜を緊張させれば、胸が持ち上あがり、肝臓が沈み込むので一石二鳥。
肝臓は、肋骨(ろっこつ)という円筒形の箱の、右側の底の部分に位置します。
ならば、
「左腕を使って、肋骨の底をすくい上げながら運んでいけば、カラダ全体が動く」
だろうという発想が生まれます。
肋骨の右下には肝臓。肋骨の左下は胃袋。 左右対称ではありません。
左手で「肝臓」という塊ををすくい上げると、カラダ全体が持ち上がりますが、
右手で胃をすくい上げても、カラダは持ち上がりません。
胃は、柔らかく「ぐにゃぐにゃ」ですから、下からもちあげてもダメですね。
左右で明らかに違う動きなので、「できる人」と「できない人」差が激しいのが、
この動きです。
日本の社交ダンスでは
「子供から老人まで、誰もが理解できて、ひとりの落第生も出さない指導」
が大前提になってるので、
「一人でも理解できない人がいるならば、そんなものは教えたらだめだろう」
という理由で、日本国内において、プロ教師(有資格者)によるこのカラダの動き
の指導は「絶対禁止・全面禁止」の扱いになってるように思います。。
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本来、ひとりひとりのカラダの使い方は「自由」であり、踊る人(相手も含めて)
「踊っている時間が、楽しいと感じること」が、ダンスにおける大原則です。
悲しいかな、日本の社交ダンスのプロ教師は、その大原則が理解できないようです。
人間は、大きくなればなるほど、周囲をみる視野が広がります。
ものごとを多方面から見ることが出来る人が「優れた人物」として評価されます。
カラダの使い方が変われば、ほんの数十センチカラダをうごかすだけでも、
「肝臓の動き」が違ってきます。
生まれてからの数十年管の日常生活の中で、「肝臓を前に出す人」
「肝臓を沈める人」「肝臓をすくい上げる人」いろいろな人がいます。
だとすれば、大勢の人が集まって踊る「社交ダンス」というの場においては
多くの人と交流をしながら、「ひとそれぞれの、動きの違いを理解する」ことが、
自分の視野を広めることであるはずです。
社交ダンスのプロ教師は、交流する人を限界まで減らし、意図的に視野を狭め
他人を無視して、優越感に浸りながら、尖がった狭い考え方だけを追求する.
トップに立つ連中が、こんなことばかりやっていては、今後、社交ダンスが、
普及するはずがありませんね。
「自分と違う価値観の人ほど、自分を高めてくれる」というのは、社交ダンス
にも当てはまるはずなのですが・・・・
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