年が明けて、2019年 始まりました。
ことしも、当「管理人ブログ!?」を、よろしくお願いします。
今年のテーマは、
「ハングリー精神 およびに ライバル心」
これで行きましょう。
日本の社交ダンス界にいる大半の人が、忘れてしまっているテーマです。
「軸(axis)で踊るダンス」のライバルは、「枠(frame)で踊るダンス」。
「枠で踊るダンス」のライバルは、「軸で踊るダンス」。
自分と違う踊り方をする人(あるいは、自分と違う踊り方のカラダの使い方)
をライバルとして、「ライバルに対しての優位性」を保持する。
ライバルの動きも、「自分の踊り方・自分のカラダの使い方」の方が圧倒的
に優れている。絶対に負けないのだ・・・という自信を持ち、優位性を保持
すること。 最終的には「自分との闘い」にあると思います。
日本の社交ダンス界にいる大半の人が、忘れてしまっているテーマです。
競技会に出場している、燕尾服とドレスで、決めているカップルが、フル
パワーで、めいっぱい踊っていたとしましょう。
その横を、シワシワの服を着て、ボロボロの靴を履いたカップルが、滑らかに
追い越していったとしましょう。(こちらの方が大きな踊りをする)
その時、高価な燕尾服を来た競技選手は、なにを感じるでしょうか?
「踊りなんて二の次、燕尾服で正装することが、社交ダンスの礼儀」だと
自分の高価な燕尾服に優越感を感じるでしょうか?
それとも「ボロボロの服を来た人間に負けたことに、未熟さと羞恥心感じる」
でしょうか?
「正装して礼儀正しい人」というのは、技術的にも「上級」である必要がある。
正装して、こころのそこから礼儀作法を重んじる「一流の人間」は、
ボロボロの靴を履いてような「三流の貧乏人」には、負けてはいけないのだ!
「下手くそでもいい、小さな踊りしかできなくても、いいんだ!」
「競技会とか、発表会とか、表舞台に参加することに意義があるのだ!
正装して、礼儀正しく振舞えば、それでいいのだ」
・・・という話にはならないのである。
ボロボロの靴を履いて、ハングリー精神をもってる人間は、「正装」で表舞台に
たつ人間をターゲットにして、全力で挑戦してくる。
「高価な燕尾服を着て、表舞台に立つ人間は、ハングリー精神で挑戦してくる
人間の挑戦を受け、その勝負に勝つ必要がある」
それができて、はじめて「一流」と呼べるはず。
例え、シワシワな服を着て、ボロボロな靴を履いて踊ってる人間であっても、
友人・知人から借金をしまくれば、燕尾服の中古くらいなら買うことができる。
ガハハハハ。
高価な燕尾服を着て踊ってる連中が、「下から、追い上げられる」ことを
忘れてしまったら、社交ダンスというものは、どんどん腐っていく。
高価な燕尾服を着て踊ってる連中は、負けてはいけないのである。
高価な燕尾服を着るということは「自分との闘い」の世界に足を踏み込む
・・・ということなのである。
日本の社交ダンスは、そんな、ある種の「常識」を忘れている。
多くの人が、そのことを思い出す 2019年であって欲しいと、わたしは思います。
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