今日は、「丹田から発せられる『気』」について、軽く触れてみることにする。
武道・武術において「丹田」というカラダの場所が重要視されている。
「丹田」は「へその下、三寸(9cm)」の位置。
医学的には、小腸が詰まっている場所で、筋肉とか骨格とかは存在しない。
「丹田=ウンコの元」とも言えるわけで、あくまで「抽象的」なものである。
なので、武道・武術の「丹田」の解釈はどうであれ、「丹田」を意識して
社交ダンスを踊る時には、釈工ダンスの都合のいいよう解釈すればいい。
結果的に、武道・武術の「丹田」と違う解釈になったとしても、問題ない。
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社交ダンス(スタンダード種目)の場合、
「丹田から発せられる『気』が、カラダの中を通って、
その『気』の多くが、てのひら・足の裏から、宇宙に広がっていく」
という、ある意味「宇宙のファンタジー」とも言える感覚。おぃおぃ!
わかりやすいイメージ的には、
丹田から大量に、水(または圧縮空気)(実際は気)が大量に湧き出ていて、
それが、手の先っぽ・足の先っぽに向かって、流れていくイメージ。
当然、水(実際は気)流れの速い場所や、流れの遅い場所がある。
指を曲げたり、てのひらの形を変えたりして、水の流れを変えてやれば、
カラダを回転させたり、中間バランス保ちながら足が動かしたりすること
が出来るようになる。
足で思いっきり床を踏みつける(フット・プレッシャー)のと同時に
「丹田から発せられる『気』」を最大化させると、カラダ全体が浮き上がる。
丹田から腕に流れる「気」の量が最大化すれば、腕(肘)は持ち上がる。
腕に流れる「気」の流れを変えてやれば、カラダ全体が回転を始める。
「丹田の気」を意識したナチュラルターンは、大きく滑らか、気分も爽快!
なにも考えずに、ナチュラルターンを踊ると、
フットプレッシャーでカラダ全体が沈み込み(足首を使って受け止める)
腕が落ちないように、必死にカラダ全体を固定し(崩れると叱られる)
「肩と腰のねじれ」を使って、カラダに回転を作ろうとする。
ただただ、足で床を踏み込み、筋肉で腕を持ち上げ、ねじれで回転を起こす。
苦しいけど、苦しさを耐えた砂金、「できたときの達成感」ある感じ。
「丹田の気」を作った踊りと、作らない踊りでは、すべてが違ってくる。
両方の踊りを比べてみれば、相手は、すぐに違いに気づくはずである。
悲しいかな、日本の社交ダンスでは「丹田から発せられる『気』」の存在を
認めない。 認めようとしないし、存在自体を拒絶しようとする。
これに気づいたプロ教師もいるかもしれないけど、アマチュアには、
絶対に教えないだろう。
メダルテストを最終目標にするようなプロ教師が、教えるはずがない!
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例えば、合気道をやってる人が、社交ダンスに関心をもち、
教える先生に、「社交ダンスには、丹田 も 気 も存在しない」
とか言われたら、どういう感情を受けるだろうか?
「気」の存在を認めず、ひたすら筋肉の伸縮だけで、騒がしく動き
回る「日本の社交ダンス」に、どれだけの人が、関心を持つだろうか?
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