今日は、気持ちの良い青空でしたね。
社交ダンスの扇・・・社交ダンスの必殺奥義。
1.足の爪先を伸ばしながら、カラダの中を「水」にする。
(骨とか筋肉とか、そんなものの意識を、完全に捨て去る)
2.てのひらと、足の裏(土踏まずのアーチ)で、床の感触を感じる
(てのひらは、相手のボディを通じて、床に繋がっている)
3.床の感触を、カラダの中(丹田)に引き寄せる。
こんなルールを自分に課して、社交ダンスの練習をしていると
おもしろいものが見えてきます。
雪が降って、氷が張る、クソ寒い山の中。
滝に打たれて、座禅を組んで、修行する人がいる。
なんで、わざわざ、そんな「修行」するんだろうか?
暖房の効いた部屋で、音楽にあわせて、綺麗な女性と踊っているだけで
「滝に打たれる厳しい修行」と同じ効果が現れるなら、社交ダンスを
選んだ方が「得」なのではないだろうか?
むさ苦しくて汗臭い、おっさんに、ブン投げられて、痛い思いをしな
がら技を覚えていくよりも、綺麗な女性と踊りながら技を覚えていく
方が、「技の取得」の近道なのではないだろうか?
目指すモノが、どちらも「同じ技」であるならば・・・
「武道・武術」と「社交ダンス」には、共通点があるはず。
それならば、「社交ダンス」で技を磨いた方が「楽しい」。
寒くない! 痛くない! なにより楽しい!
日本の社交ダンスのプロ教師みたいに、骨だの筋肉だの、
軸だの姿勢の崩れだのに執着していては、
いつまで立っても、社交ダンスの極意など、見えてこない
・・・と思ったりする。
もっとも、「社交ダンスの極意」など追い求めていては、
カネにならないだろうし、チケットも売れないだろうけど。
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