社交ダンスの世界を、普段とは違う視線で眺めてみると、面白いものが見えてくる。
社交ダンスには、数々のドラマが存在する。
今回は、「ダンス八景」の第4段。
今回は、いわゆる「ダンスパーティ」のお話です。
ダンスパーティというのは、音楽に合わせて、いろいろな相手と踊るのが一般的。
踊り方は人それぞれ、違いがあるので、「いろんな相手と踊る楽しさ」を味わう。
地域によって「暗黙の了解」みたいなのがあるようで、1曲ごとに交代する地域も
あるし、4~5曲(曲種が一巡)ごとに交代する地域もあったりする。
ところが、パーティの参加者の中には、中には、
気づかないうちに現れて、上手そうな人とだけ踊って、知らないうちにいなくなる。
という人もいたりする。
そういう人って、社交ダンスの何をもって「楽しい」と感じているんだろう。
とか、疑問に思ったりする。
個人的に、こういう人の心理は、まったくというほど理解出来ないが、
単刀直入に言えば、「踊り方が根本的に違っている」ということだと思われます。
ワルツのライズ(というか、靴のヒールを3cm床から浮かせる)動きをする場合
ふくらはぎの筋肉を緊張させて、足首を伸ばして、踵を持ち上げる
という方法でライズする人もいる。
でも、これに他の動きが加わると、足が絡まって踊れなくなってしまう人がいる。
鉄棒の懸垂のイメージで、手の指を曲げながら、肘をほんの少し緊張させるだけ
で、自然に足の踵(靴のヒール)が浮き上がってくる。
という(腕の筋肉を変化させると、足の筋肉が変化する)ライズの方法もある。
足首の筋肉をダイレクトに操作する前者の踊りの方が、上達ペースは圧倒的にはやい。
足を動かす時には、足の筋肉をダイレクトに操作させればよく、腰を動かすときには、
腰の筋肉をダイレクトに操作すればいい。 そのように、脳からの指令を出せば良い。
一方、意識的に腕の筋肉を変化させ、腕の筋肉と連動して足を動かそうとするのは、
慣れが必要になる。 これを取得するには、数百人以上の相手と踊り込む必要がある。
たくさんの相手と踊り、相手の微妙な腕の変化を感じ取って、それを自分のモノにする。
ダンスパーティで「楽しめる」のは、どちらのタイプだろうか?
パーティ会場にいる「上手そうな人としか踊らない」のは、どちらのタイプだろうか?
ライズで、ヒールを3cm浮かすとき、ダイレクトに足首を操作する操作は、
相手に伝わりにくい(相手のカラダを操作することは、極めて難しい)ので
「自分は自分で動き、相手の動きは相手に動いてもらう」という踊りになる。
だから、「下手な人や、経験の浅い人」とは、踊れないし、踊っていても楽しくない。
ライズの際、腕の筋肉の変化させて、ヒールを浮かそうとする人は、
自分の腕の筋肉の微妙は変化で、自分のカラダと同時に、相手のカラダも変化する。
「相手のカラダを変化させて、それに自分が便乗して、自分のカラダを動かす」
のが、ダンスの楽しみ・・・ということになってくる。
「腕の僅かな筋肉の変化に敏感に反応しやすい相手」が、踊っていても楽しい相手
ということになる。(素人的に、腕で相手を押したり引いたりするのは、論外です)
最終的には、「ダンスパーティとは何か?」というより「社交ダンスとは何か?」
という話になってくるんだけれど、社交ダンスを教える先生が「ダンスパーティの
楽しさを知らない」というのが、諸悪の根源なんだろう・・・という気がする。
ダンスパーティやダンス関連イベントの「券」を印刷して、生徒に売りつければ
生徒が、競い合って券を買っていく・・・「濡れ手に粟」的な商売をやるのが、
プロ教師。
そんなプロ教師は、ほんとうのダンスパーティの楽しさなんて、知るはずが無い。
習う先生の考え方によって、生徒の考え方(生徒の踊り方)も変わってくる。
そして、そこには、数々のドラマが生まれる。
|