*** 書きかけの途中になっていたので、書き直しました ***
「ストリート系ダンス」の人からの視線で、「社交ダンス」を見た場合
「日本の社交ダンス(スタンダード種目)の基礎」と言われているものが、
どういうふうに見えているのか?
社交ダンスを教える人間が、全く、そういうのを考えようとしない。
広い視野で、人間のカラダの動きを考えたとき、
「いままで、気づかなかったものが、見えてくる」
ということは、多々あります。
人間のカラダの動きには、
・カラダの中に「軸(axis)」を作って、軸を回転させながら移動させることで、カラダ全体を動かす。
・カラダの中に「枠(frame)」を作って、枠の一部を変化(枠を変形)させることで、カラダ全体を動かす。
という2つの方法があるはずです。
にも拘わらず、日本の社交ダンスは「枠」という概念を否定して、
明けても暮れても「軸・軸・軸」という徹底的な指導。
「軸がすべてを配する」 軸が崩れたら叱りつける教育。
それが「ダンス」だと思い込んでいるのが、社交ダンスのプロ教師。
人間のカラダの動きなんて、「軸(axis)だけで説明できるはずがない」にも関わらず、
「軸を使った動き」だけで説明しようとしてるのが、日本の社交ダンスのプロ教師。
日本の社交ダンスのプロ教師は、ストリート系ダンスのカラダの動きを、論理的に説明できるひとは、少ないと思います。
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「ナニコレ?劇団」サザエさん(2018年3月)
「突然に、垂直に飛び上がる」とか「体の一部だけを波打たせる」とか
そういったテクニックは、「日本の社交ダンスの基礎」を使って説明しようとしても、
説明なんて出来るはずがない。
効果音に合わせて、飛び上がりたいのなら
「膝と足首を深く曲げて、カラダを深く沈み込ませてから、
勢いよいよく、膝と足首を伸ばして、地面を蹴ればいい!
そうすれば、「ナニコレ?劇団」の人よりも、もっと高くジャンプできる。
だけど、「膝を曲げずに、突然に飛び上がる」から面白いのであって、
「膝の屈曲」を使って、高く飛び上がれたとしても、そんなものは面白くない。
ダンスというのは、なにが面白いのか?
「論理的に説明できないカラダの動き」「簡単には真似ができないカラダの動き」
を面白さ・・・というのがある。
「いままで気づかなかった不思議な動きを追求する」というのが、
本来の「ダンス」には存在するはずであり、それが出来るようになったときの
「喜び」が、ダンスを継続させる原動力にもなってくるように思います。
悲しいかな、日本の社交ダンスのプロ教師の多くは、そういう「ダンスの原点」を
忘れているように思います。
日本の社交ダンスは、
「子供から高齢者まで、ひとりの落伍者も出さないように、
誰でも知っているカラダの動きを使って、ダンスを踊りましょう」
という考え方が前提になってます。
「誰でも平等」「落伍者を出さない」という前提で、「ダンス教師制度」を作り、
「ダンス教師免許」を配布してましたから、「多くの人が気づかない動き」というのは、
長年にわたって、プロ教師によって排除されてきたわけです。
日本の社交ダンスにおいて
「審査員によって、厳正に管理された競技会」は存在しますが、
「集団の中から自然発生する、バトルの戦い」は存在しません。
競技会は、「誰もが知っている基礎を使って、姿勢を崩さずに踊る」戦いであり
バトルは、「誰も真似できないことをテクニックを使ったヤツが勝つ」戦い。
同じダンスであっても、まるっきり、考え方が違うわけです。
アマチュアには、テクニックを教えない。
アマチュアは、「誰もが知っているカラダ使い方」で、踊るべきである。
アマチュアの競技会では、テクニックの有無は、評価の対象にしない。
「誰もが知っているカラダ使い方」で「姿勢を崩さずに踊れる」ヤツが勝つ。
社交ダンスの競技会の参加者が、60歳以上(還暦越え)に偏っているのも当然です。
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