今回は、ボディ・コンタクトの2回目。
ダンスというモノは、本人が「楽しい」と感じることが一番。
社交ダンスはペアダンスなので、本人と相手の両方が「楽しい」と感じれば、
「最適な踊り方」だと言えるはず。
競技会に限らず、日本の社交ダンスは、「楽しさ」よりも「外見」で
評価されることが多いようで、例え、どんなに息苦しかったとしても、
二人のボディコンタクトが離れなければOKで、二人が離れたらNG!!
みたいな評価がなされることが多いようです。
ほんとうに、それで良いのでしょうか?
例えば、男性は、姿勢が崩れないように、両肘を真横に張って、胸を張って
「背骨に軸」をキープする。(背中に、鋼鉄の十字架を作る)
女性は、脇腹を男性に押しつけて、男性とボディが離れないようにする。
毎日厳しい練習を重ねていけば、「鋭い回転をするときも、大きな動きをする
ときも、絶対にボディは離れない」踊りが出来るようになると思います。
相手とボディが離れなくなったとき、「自分は、世界チャンピオンと同じ、
正しい踊り方が出来るようになったのだ!」という満足感が得られるかもしれません。
でも、「ボディが離れない」ということが「世界共通の、正しいボディの使い方」
だと言い切れるでしょうか?
日本の社交ダンスに対して「異議」を唱えるべく、一つの考え方があります。
男女が向かい合って、ルンバのベーシック(前進・後退のチェックバック)を
繰り返したとしましょう。
片足の真上を通過するときと、両足を開いた時では、男女の感覚は変化するはずです。
相手のボディが遠ざかったり、近づいたりするはずです。
これは、単なる「綺麗に見せるための演出」ではなく、ウォークの際の「ボディの
速度の変化」によるところがあるはずです。
前進と後退では、ボディが動く速度に差が出るので、結果として、男女のボディの距離が
伸びたり縮んだりする。
スタンダード種目で、「腕を持ち上げて、肘を固定する」ホールドで、
前進動作/後退動作を行った場合(両足を開いたり閉じたりした場合)、
ボディの動きは「等速運動」とはならず、ボディが動く速度は、微妙に変化するはずです。
前進動作と後退動作で、速度の変化に違いがあるとするならば、
男女のボディ・コンタクトの強さは、常に変化するはず。
つまり、踊っている間、二人のボディコンタクトは、強くなったり弱くなったりを繰り返す。
二人のボディコンタクトが弱くなるということは、相手が離れていくような感覚を味わうことになり、
次の瞬間、自分のボディが、相手に吸い寄せられるような、感覚を味わうことになる。
このボディ・コンタクトの変化(強くなったり弱くなったり)こそが、ペアダンスの醍醐味であり、
これこそが、「社交ダンスの楽しさ」だという考え方が存在する。
だがしかし、プロ教師が「ボディ・コンタクトが外れることは悪いこと」という感覚を
徹底的に植え付けて、「ボディコンタクトの強さの変化」に対する「罪悪感」を、
生徒に叩き込んだとしたら、どうなるか?
おそらく、その生徒の「ボディコンタクト」に対する思考は、完全に停止してしまうだろう。
前進動作と後退動作のボディの動きのズレ。足を開いたときと足を閉じたときのボディの速度の変化。
これらを「罪悪」と見なして、必死になって、相手にボディを貼り付けようとする。
苦しかろうが、不自然だろうが、「それが、社交ダンスの基礎」であると、教え込んだとしたら・・・・
「ボディコンタクトを密着していれば合格!」という教え方は、果たして正しいといえるのだろうか?
生徒にとって有意義だといえるのだろうか?
プロ教師の思考回路が麻痺しているとしたら、社交ダンスに明日は無い・・・・と思います。
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