「お休みします」と書いたら、たぶん、誰もみない。
誰も、見ない前提で、書いていく...
タイトルは「人が集まる・人が溢れる」
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昨日は、母親の同級生のお通夜があって、
葬儀場まで、クルマで送り向かい。
(母親の)同級生3人から、香典を言付かって、
母親の香典も合わせて、4つの香典袋をもって、葬儀場へ。
葬儀場で、(母親の)同級生2人と同流。
葬儀場へ行ったら、「人がいっぱいで入れない」とかで、
香典だけ渡して、すぐに帰ることになった。
クルマの中で、1時間くらい待機する覚悟だったけど
「待機無し」で、すぐに帰宅できて、拍子抜け。
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母親は、80歳を超えたくらいなので、
団塊の世代(1947(昭和22年)〜1949年(昭和24年)生まれ)
よりも、少し上の年代。
「団塊の世代にとっての、お姉さん」みたいな位置づけかな。
人が集まるところには、たくさん人が集まる。
人が溢れるくらい、人が集まる。
人が来ない場所には、ことごとく、人が来ない。
閑古鳥さえも逃げ出すくらい、人が来ない。
じゃぁ、どういう基準で「人が集まる」のか??
世代が違うと、ぜんぜん、理解できない部分が多い。
誰か、特定の人がリーダーシップをとるわけでもないのに、
潜在的に「みんなで同じことをする」という意識が強いのかも。
社交ダンスもそうだけど、母親の世代、もしくは団塊の世代の集結力って、すごいと思う。
なので、その年代(戦中・戦後生まれの人達)に協力して貰って
(どうやったら、協力して貰えるかのノウハウを教えて貰って)、
若い人を集め、未来に繋げることは、とても有効だと思う。
でも、その年代(戦中・戦後生まれの人達)を集めること、
それ、そのものを目的にしたのでは、
延命することは出来ても、「未来」には繋がっていかない。
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