「お休みします」と書いたら、誰も見ないだろう。
「誰も見ない」という前提での投稿。
社交ダンスって、発想を変えると、面白い。
だけど、それは「敵を作る」ことになるし、
「排除されて、孤立する」危険性が高くなる。
良くも悪くも、それが田舎。
例えば、わたしの以下の「考え方」に対して、
支持(賛同)する石川県のダンス愛好者は、
「限りなくゼロに近い」と思う。
-------------(↓先週と違う部分)------
社交ダンスの極意は、さいしょに
「肩甲骨が動かないカラダ」
を作ってから、
「肩甲骨の周りの筋肉を動かそうとする」
どうなるか?
「肩甲骨も含めた、カラダ全体が動く」
社交ダンスの極意は、さいしょに
「腕(前腕)が動かないカラダ」
を作ってから、
「てのひらと、手の指を動かそうとする」
と、どうなるか?
「腕を含めた、カラダ全体が動く」
--------------(↑先週と違う部分)-----
こういう発想を持つか? 否定するか?
案外、こういうのは、社交ダンスを始める前の人とか、
始めたばかりの初心者の方が、興味を持つと思うんだけどね。
「社交ダンス」のカラダの動きに、
そういう発想が必要(あるいは、あったほうがいい)なのか?
それとも、不要(あってはいけない発想)なのか?
必要だと思う人は、「そういうカラダ作りをすればいい」し、
「どうやったら出来るんだろ?」という情報収集をすればいい。
不要だと思う人は、
「世界チャンピオンでも、そんなことやってないはずだ!」
という強い信念をもって、否定し続ければいい。
無視したり、粉砕(ねじ伏せる)したりするのは、簡単だけど、
「社交ダンスに、そういうのは、無いんだよ!」と言って、
「否定し続ける」人の方が、強い意志と勇気がいると思う。
|