人間のカラダは不思議なモノで、「沈黙の臓器」というのがある。
「検査」をすれば、異常は見つかるけれど、
検査をしなかった場合、異変に気づいたときには「手遅れ」となることがある。
石川県の、"40-50歳代がいない"問題も、それに近い。
問題の本質は、「ダンス界の高齢化」でもなく「年齢分布の偏り」でもなく、
「同年代の男女で、誰もカップルを組んでない」という異常な現象による要因が大きい。
こんなの「簡単な検査」をすれば、すぐに異常は見つかるはずなのに
地元の指導者が「天狗」になって「鼻の長さの競い合い」をやってる状況。
もはや、誰も現状を見てないし、見ようともしない。
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プロ教師による「社交ダンスの指導」は、
「何も知らない初心者の男性と女性を組ませる」
ことから始まる。
(そうじゃない...って人もいるけど、そういうことにしておいて)
男女ともに、腕を持ち上げて、肘を固定した、窮屈な姿勢を保ちつつ
ギクシャクしながら、見よう見まねで、カウントに合わせて動く。
お互いが、ぶつかり合ったり離れたりして、上手に踊れるはずが無い。
そこで、先生は「小手先だけのワンポイントアドバイス」を与える。
ワンポイントアドバイスで、生徒の踊りが改善されたら、先生は褒める!
「叱ってはダメ、褒めて育てる!」 これが、人気がでる秘訣。
社交ダンスを習いに行って、最初は、ギクシャクしていたのが
アドバイスを受けることで、だんだんと踊れるようになってくる。
で。。。
この先に、将来を決定づける重要な「分岐点」がある。
「社交ダンス」に対する。モノの見方が、真っ二つに分かれる。
初心者の男性と初心者の女性で練習している「集団」の中に、
今まで習ってきたアドバイスと、練習してきた過程の中に、
「社交ダンスの基礎」が存在する...と認識するグループ
と、
今までのアドバイスだけでは、上級者とは同じようには踊れない
今までのアドバイスは、あくまで応急的なモノであって、
「社交ダンスの基礎」は、違うところにあるはずだ...と認識するグループ。
つまり、
自分のいる集団の中で、「正しいダンスの基礎」を覚えてやるぞ!
「先生の言うことは完璧であり、先生は何でも知っている」と考えるグループ。
と、
初心者同士で踊っていても、ほんとうの「ダンスの基礎」は見つからない。
自分が知らない何処かに「ダンスの基礎」があるはずだから、探してみよう!
「先生でさえも、知らない基礎がたくさんあるはずだ」と考えるグループ。
この違いは大きいはずで、
何年か、ダンスをやっていれば、この2つのグループに別れてくる。
今の70歳代のように、ダンス愛好者の人数が多ければ、
2つのグループに別れても、自然に「棲み分け」が出来てきて、お互いが楽しくやっていける。
だけど、田舎の40~50歳代は、そうじゃない。
タダでさえ、人がいない状態で、棲み分けしたらどうなるか??
結果は見えている。 崩壊あるのみ!!
学連とか、若い先生がたくさんいる都会においては、
「初心者の男女を組ませた、見よう見まねのギクシャクしたダンスの中に、ほんとうの基礎がある」
とか、そんな認識をする人は、ごくごく少数派でしょう。
でも、田舎は違う。
70歳代(非競技)の男性の踊りの中に、「ほんとうの、正しい社交ダンスの基礎」があるかのごとく、社交ダンスの指導を行う。そして、生徒は、それを信じて疑わない。
世界中の社交ダンスは、すべて共通の基礎の上に成り立っている。
すべての基礎は「初心者の男女のギクシャクした踊り」の上に成り立っている。
世界チャンピオンと、高齢者の違いは、あくまで「枝葉」の部分に過ぎない。
一流のプロ教師が、そう教え込むから、多くの人は、それを信じ込む。
「指導のカリキュラム的」には、それでいいんだろうけど、
教師免許を取得している「プロ教師」と呼ばれる人の多くは、
どこか、根本的な部分で、勘違いしているような気がする。
本当の指導というのは、「生徒に疑問を持たせる」ところから始まる。
だけど、田舎の社交ダンスの「プロ教師」の指導には、それが無い!!
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