なんでもそうだけど、「立ち位置」によって
「捉え方の違い」というか「視野の違い」ってのがある。
わかりやすい例で言えば、
ラーメン屋を食べ歩くのを楽しむ人と、
自分でラーメンを作るのを楽しむ人と
当然ながら、「捉え方は違う」はず。
「食べ歩き」の評論家だと、
どこのラーメン屋が、美味しいか
食べたラーメンに優劣をつけて、
ラーメン屋同士で、何処が違うのか?
とか、そういうのを追求していく。
だけど...
ラーメンを作るのを楽しむ人は違う。
このラーメンには、どんな材料を使い
どのような「隠し味」があって、
どんな作り方をしているのか?
他人の作ったラーメンに対して、
自分の作った物との違いを追求していく。
捉え方に、あきらかな、違いがある。
社交ダンスのプロ教師も、いろいろある。
社交ダンスの原点が、何なのかを、
「探りだそう」とするプロ教師もいれば、
「社交ダンスはこんな物!」と決めつけて
ひたすら「崩れずに踊る方法」を追求する
教師もいる...ってことかな。
「美味しいラーメンを作る人」がいるように
「社交ダンスの定義を作る人」もいる。
作った人の視線で、物を考えると、
違った物が見えてくる...気がします。
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