社交ダンスを踊る人の"集団"において
「挨拶」は、必要なのだろうか?
挨拶が必要だとしたら、なぜ必要なのか?
「挨拶禁止」のダンスパーティとか、
やってみると面白いかもしれない。
挨拶をしなくても、「ダンス」という
踊りの中で、相手に「感情」は伝わるから。
だけど、「挨拶」には、
もっと重要な意味があると思う。
技術は常に変化するので、
人間、必ず、若い人に追い抜かれる。
挨拶をしない年配者が、
若い人に抜かされたら
その瞬間、自分の居場所がなくなる
だけど、周囲に気配りをして
丁寧に挨拶をしている年配者が、
若い人に抜かされても
若い人は、その抜かされた年配者を、
ずっと、大切に扱ってくれるはず。
全力を尽して、なお
「自分が、若い人に抜かされた時」の姿を
思い浮かべることが出来たとき、
ほんとうの「挨拶」とはなにか?
ってことに、気づくんじゃないのかな
。。。そんな気がする。

社交ダンスを知るには、
「社交ダンス」のルーツ、
ヨーロッパの文化を知る必要がある。
ヨーロッパ文化は「階級文化」。
シンデレラが、お城でダンスを踊れたのは
「魔法」を掛けて貰えたから。
下層階級の人間は、ダンスなんて踊れない。
男性が女性をエスコートするとか言うのも
上流階級の仲間内の話。
イギリス紳士が、植民地の貧困家庭の女性を
エスコートする話など、聞いたことがない。
これが、どういうことかと言えば、
上流階級は、上流階級であるが故の
努力を行なってはいけない。
すべてにおいて上流階級は、
一般庶民に負けてはいけない。
・・・これが、鉄則だと思われる。
上流階級の「社交ダンス」は、
一般庶民の「ストリートダンス」に
「技術的」に、負けてはいけない。
上流階級のダンスを踊る人は、
一般庶民のダンスを踊る人に
負けないように、努力をする必要がある。
それが「階級社会」の大前提だと思います。
一般庶民のストリート系が
ぶっ倒れる寸前の、ギリギリの重力バランスを
ひたすら追求しながら踊ってるのに対して、
上流階級の社交ダンスが、
燕尾服とドレスで着飾って、ただただ
ドタバタ動き回ったのでは、話にならない。
ストリート系が、重力バランスの極限を追求するなら
社交ダンスも、重力バランスの極限を追求して
さらに、その上を目指す必要がある。
それができて始めて「上流階級のダンス」といえる。
そんな努力もせずに、挨拶だのエスコートだの
ごちゃごちゃ論じても、話にならないってこと。
「上流階級のダンス」ってのは、厳しいのである。
だから、少なくとも、社交ダンスのプロ教師は、
ストリート系ダンスの「上」を行く必要がある。
ムーンウォーク!? ああ、あれね!
それよりも、社交ダンスの方が、技術は上だよ!
・・・と、堂々と言るようになる必要がある。
世界トップクラスの社交ダンスは、
少なくとも、ストリート系に負けてない。
じゃぁ、日本の田舎の社交ダンスはどうか?
若い人の「ストリートダンス」相手に、
逃げたとしたら、その人は、それで終わり。
上流階級の社交ダンスが
一般階級のストリートダンスに敗北したことになる。
上流階級にとって、それは、あってはならないこと。
燕尾服とドレスを着て踊ってる人が、
ボロボロの服を着た「一般階級」に根負けしたら
その時点で、上流階級のダンスじゃない。
そうはいっても、いつかは、若い人に抜かされる。
そのために「挨拶」というものが、必要になる。
わたしは、そう思います。
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