社交ダンスというのは、大なり小なり
「集団」を形成します。
なので、少なからず「集団心理」みたいなのが発生します。
これ、考えていくと、面白いし、勉強になります。
社交ダンスを習う場所、
「ダンス教室での個人レッスン」であったり
「公民館サークル」であったり
いろいろあります。
どんな場所であれ、どんな習い方であれ
習う人の心理としては
「自分は、正しいことをやってる集団にいる」
「自分の居る集団は、正しい方向に進んでいる」
と、思い込むはずです。
そして、
自分の求めている「理想のダンス」は、
自分のいる集団の中に、存在するのだから
今いる、自分のいる集団の中から、
「正しい理想のダンス」を見つけるのだ!!!!
...と。
そういう前提で、ダンスを習う人が多いはずです。
そして、おそらく、
「もしかしたら、自分のいる集団は、
間違った方向に進んでいるかもしれない」
という疑心暗鬼の中で、ダンスを習っている人は、
少ない、というか、超!少数派だと思います。
教える側は、
「自分が教えているモノは、完璧に正しいモノだ」
という前提で、ダンスを教えてるわけですから
習う方は、そう思い込んでしまうはず。
でも、ほんとうに、そうなんでしょうか?
公民館サークルとかだと、
「一人でも落伍者を出してはいけない
「難しいこというと、辞めていくヤツがいる」
という中で、ダンスを教える必要がある。
しかも時間が限られていて、みんな平等!
そんな集団は、
「正しい方向に進んでいく集団」なのだろうか?
個人レッスンをやっている、ダンス教室はどうか?
すべての人に「妥協の無い正しいダンス」を
教えているのだろうか?
生徒に辞められると困るので、
あたりさわりのない、「妥協の産物」みたいな
ダンスを教えてたりしないだろうか?
自分のいる集団は、正しい方向に進んでいる。
自分のいる集団の中に、必ず正しい答えがある
そんな前提で、閉鎖的な集団を作り、
先生と呼ばれる人が、「お山の大将」になり、
「閉鎖的な集団の中の一員」として、
過ごすことに満足しているのが、一番楽しい
・・・と考える人が多いような気がするけど
なんか、違うような気がする。
プロ教師自体が、自分の利害関係のためだけに
自分のイエスマンだけをを受け入れて
それ以外の人は、徹底排除しているから、
ダンス界は、だんだん、腐っていくように思います。
コロナを気に、そんな腐ったダンス界
変わってくれればよいのですが。。。。。
武道の世界は、体験していないので知らないのですが、
達人しか知らない「技」というのが、あるはずです。
技を知らない初心者を、100人集めて、集団を作り
その100人で、いくら練習したとしても、
その集団の中では「技」なんて、身につくはずがない。
「技」という「正しい答え」は、
「初心者だけの集団の中には、存在しない」
ということです。 当然ですよね!
ところが、社交ダンスは、
「初心者だけの集団の中から、
正しい、答えを見つけ出そうとする」
そして、初心者を教える先生は
姿勢が崩さずに、
トコトコ歩くことが出来るようになったら、
「大変よく出来ました」
と褒めちぎる。
生徒は、
「初心者だけの集団のなかに
完璧に正しい答えがあったんだ!」
と思い込み、自身をもつ。
こんなことばかりやって、
生徒に、閉鎖的な思考をもたせて、
「集団の囲い込み」ばかりやっていて
それでいいのだろうか?
それが、プロ教師の「正しい仕事」と
言えるのだろうか?
プロ教師を主体とする、
社交ダンスの「閉鎖的な集団」は、
一度、潰れた方がいいのかもしれない。
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