「隣の芝生は青く見える」という言葉がある。
他人が持っているもの、
あるいは、他人に備わっているものは、
自分のそれよりもよく見えてしまう
...という意味。
斜め上から見る隣の芝生は「緑」に見えて
真上から見る自分の芝生は「茶色」に見える
そんなものだと、思いたくなるわけだが
見た目通りに、芝生の色が違うこともあり得る。
もしかしたら、肥料とか手入れ方法とか、
あるいは、芝生の品種(芝生の値段の違い)とか、
根本的な違いがあるのかもしれない。
こういうのは、油断して、先入観に囚われる、
見落としてしまいがちな、
とても重要な要素だったりする。
-*-
さて、ここからが本題。
社交ダンスにおける、男性の立ち方。
初心者から、育っていくときの過程。
根本的に
「初心者は、まっすぐに立てない!」
と考えていい。
じゃぁ、、
姿勢を崩さずに、動けるようになるまで
「ひたすらシャドウの練習」で育った生徒
と、
先生に動かして貰う(先生のリードで動く)
「ひたすら受け身に徹する練習」で育った生徒
とでは、
まったく、同じ育ち方をするだろうか?
上達したときに、全く同じ踊りをするだろうか?
どっちの生徒のほうが、伸びると思いますか?
男の子供を、女の大人の先生が育てるときには、
身長差があるから、大人の先生がリードして
男の子供(生徒)が受け身を覚えていく。
という教え方は、物理的に不可能であり、
「どちらが良いか?」という、議論の余地はありません。
ですが、成人の男性生徒と、成人の女先生なら可能です。
「ひたすらシャドウの練習」で育った生徒
「ひたすら受け身に徹する練習」で育った生徒
この違いは、どのように出てくると思いますか?
わかりやすい違いは「ライズ」に出てきます。
ライズというのは、かかと(ヒール)を床から浮かした、
「普段より高い姿勢」です。
おそらく「ひたすらシャドウの練習」で育った生徒は
足首の筋肉を緊張させて、自分の足首の力で、
かかとを持ち上げて、立ち続けようとするでしょう。
「ひたすら受け身に徹する練習」で育った生徒は
カラダの力を抜いて、立っていれば、
何故か知らないけど、不思議なことに、
自然にかかとが床から離れ、高い姿勢になっている。
両者のライズには、あきらかな、違いがあるはずです。
(少なくとも、わたしは、違うがあると思ってます)
「受け身」を覚えたら、なにが面白いのか?
わかりやすいのに「ワルツのウイング」があります。
ウイングの2~3歩目で、女性がライズしたら、
なぜだか知らないけど、男性のヒールが自然に浮き上がって、
男性もライズ状態になり、男性の左足が、後方から左横に
動いていきます。 男性は、女性の動きに連動します。
でも、「シャドウ」では、こんな体験は出来ません。
自分の足でライズし、自分で左足を動かす必要があります。
どちらの女先生に習えば、「自分の身」になるのか?
そもそも、「習う」ということの、なにが楽しいのか。
「シャドウこそが命!」 という人もいるでしょう
いや、もしかしら、
「シャドウは、楽しくて、楽しくて、しかたがない。
女性と踊ることは、苦痛でしかないけれど、
たまには、苦痛のなかで女性と踊ることで
シャドウの楽しさが、倍増するんだ!!!」
みたいな人のほうが、多いのかもしれない。
だからこそ、日本の社交ダンスのプロ教師は、
男性の生徒に対して、シャドウばかりやらせる。
男性のニーズに合わせて、教えてるんだろうな。
ほんとうに、
一にシャドウ、二に車道、三四が無くて、五に歩道
みたいなレッスンが、ベストなのか?
シャドウやらせる教室が、爆発的に人気が出る
世の中の男性陣は、シャドウに絶賛!
女性は裏切るけど、シャドウは裏切らない。
...だんだん、表現がエスカレートしてきたけど、
今の日本のプロ教師が教える社交ダンス。
わたしは、根本的に、なにかが違うように感じる。
疑問を感じる人は、だれもいませんか?
男性の皆さん、そんなにシャドウは楽しいですか?
シャドウが、上達の最短ルートなら、それもいい
だけど、わたしは、シャドウが最短ルートだと思えない。
シャドウより、受け身が先であり
受け身を崩さない範囲で、シャドウするのが
理想であるような気がします。
あくまで、個人的な感想です。
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