前回の「繁栄と衰退:人の流れの変化」の続きです。
「社交ダンスの全盛期」が、どういうものだったのかを想像していくと
ダンスホールの常連にダンスを習って、ダンスホールでダンスを覚える
「先生」と呼ばれる人には、習ったことも、踊ったことも無い
・・・みたいな人が多かったようです。 どうなんでしょう?
ダンスの始まり(入り口)は、ダンスホールや、近所の公民館サークル・・・
で、そういう人の中から、「やる気のある人を引き抜いて」
育てていくのが、ダンス教室であり、プロ教師であると。。。。
で、時代が過ぎ、ダンスホールでの「自己流の踊り」が廃れていき、
「社交ダンスは、教師免許をもったプロ教師に習うモノである」
というのが、当たり前になってきた。
当然の如く、社交ダンスを習う人たちは
「教師免許を持っている先生の踊りは、絶対的に正しい」
「正しい踊りをしている人だけに、教師免許が与えられる」
という先入観をもって、先生を信頼して社交ダンスを習う。
社交ダンスのダンス教室が
「フランチャイズの全国チェーン」
みたいになってきて、
教師免許を持っている教室ならば、
どこのどの教室を選んでも、どの先生に習っても
同じ指導内容で、適切な指導を受けられますよ。
・・・みたいな「横並び」現象が起きてくる。
メダルテストとかで、いろんな先生を比較してると
「ここにいる先生は、みんな平等・みんな同じ」
というふうに見えちゃうところが、面白い。
結局のところ、
教師免許を持っていない人は、ダンスを教えてはいけない。
教師免許を持っている人の指導は、正しい指導である。
という前提を作っておいて、
教師免許の正当性を絶対化したことにより、
子供からお年寄りまで、まったく同じ基礎。
公民館ダンスの初心者も、上級者も、まったく同じ基礎。
遊び半分の人も、上を目指す人も、全く同じ基礎。
そんなふうに、受け取る人が、多かったように思います。
その地域でトップクラスのプロ教師が、教えに来て
「たいへん、よくできました!」と、褒められたら
自分の踊りは正しいんだ、自分は基礎が出来ているのだ
・・・・と、多くの人は、思うわけです。
「○○先生の団体レッスン・中級コースは、
ほかの先生でもしらないような」
高度なカラダの使い方を教えている」
とか、
「○○教室の、アマD級選手は、
△△教室の、アマA級選手より、レベルが高い」
とか、
わけのわからん話、よく聞いたような気がする。
今考えると、そういうところは、
「シロウト受け」する教え方をしてただけ
じゃないかとも思えるけど、真相は「謎」。
社交ダンスの「衰退」の原因は断定できないれど、
社交ダンス衰退の原因は、
周囲の状況を理解できない(理解しようとしない)
「プロ教師」が創り出した暴走
・・・によるところが大きいような気がする
教師免許を持った「先生」に習った生徒は、
「自分の基礎は正しい、自分は正しい踊りをしている」
と思い込む。
ここで重要なのは、
「自分は正しい」という正義感に溢れた人が取る行動なんて
ろくなもんじゃない・・・・ってこと。
大抵は、千害有って、一利無し!
正規の先生に習った、自分の踊りの基礎が、
間違っているなんて、そんなことは、あり得ない!
自分は、おカネを払って、ダンスを習っているのだから
自分は、正しい踊りをしているのだ!
そういう前提(という思い込み)で、
ダンスを踊る人が、ダンス人口の大半を占めてくる。
当然の如く、いろんなところで、弊害が起きる。
だけど、多くのダンス教師は、それに、気づかない!
というか、「大きな弊害」に、気づこうとしない!
これが、社交ダンスをダメにした、最大の原因だと
わたしは考えているのですが、どうでしょうか?
一言で言えば、
社交ダンス界をぶっ壊したのは、プロ教師!
プロ教師が、その地域全体を見て、行動していれば
社交ダンスは、ここまで、酷い状況にはならなかったはず。
どうでしょうか?
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