「矛盾」という言葉がある。
すべてのものと突き破る「矛」と
すべてのものを防御する「盾」が
同時に存在したらこわい! という話し。
社交ダンスは、一つの教本(一つの言葉)から
複数の「都合のいい解釈」を生み出して、
いろんな「先生が」が、自分の解釈によって教えている。
「左に曲がる」という動きに対して、
舵(タイヤの向き、足の向き)を曲がる方向に
向けながら進むのが、社交ダンスのターンだ!
と考える人もいるし
舵(タイヤの向き、足の向き)を、反対方向に向て
カラダの向きを変えながら進のが社交ダンスのターンだ!
と考える人もいる。
両者の正確な比率は、統計を取らなければわからないけど、
(ダンスパーティなどで、数百人規模の相手と踊れば、
だいたいわかるかな)両方のタイプがいるのは、確実。
あきらかに、2つの考え方があり、2つの踊りが存在する。
で、、、、、、
不思議なことに
すべての人が、「CBM」を使えることになってる。
「CBM」についての説明文は、たった1つである。
ほんとうに、こんなこと、あり得るのか?
まったく違った考え方の人が、
まったく違った動きに対して、
「オレ様のこの動きは、CBMだ!」と主張しているもの。
人間の動きの中には、CBMが存在する
オレ様は、教師免許をもっている。
だから、オレ様のCBMは完璧だ
オマエの踊りは、オレ様のCBMと違う
だから、オマエのCBMは、間違っている!
・・・みたいな展開。
こんな中には、「本当のCBM」は存在しない。
あるとすれば、
すべての議論をぶっ壊す「ICBM」みたいなもの。
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