数年前、社交ダンスが風俗営業法から除外される以前、
「社交ダンスのカラダの動きは、
音楽が無くても、面白いですよ!」
ということで、細々と活動してたことがあります。
(練習が、終わって休憩の時だけ、音楽を使う)
途中から、「Ballroom fitness みらい」という名前を
つけるようにしたけど、風営法から外れてからは、
(時間がないのもあって)ほとんど放置状態。
風営法の管理下にあった時代は、
「教師免許の無い人は、ダンスを教えてはいけません!」
という法律になっていた。
じゃぁ、どうするか?
社交ダンスに不可欠なのは何か?それは音楽だ。
音楽がないのであれば、社交ダンスとは言えない!
ということで、音楽ナシで、活動してたことがあります。
音楽がないのなら、教師免許がなくても、なんとかなる。
プロの先生が、音楽を使って社交ダンスを教えるのに対して
教師免許を持たない人間が、
音楽ナシで社交ダンスのカラダの動きを勉強しましょう!
とか言ってみたところで、多くの人が集るハズが無い。
教師免許がないだけでも、完全に不利な条件なのに
「音楽が使えない」という絶対的なハンディキャップ。
そんな条件化で、音楽ナシで、細々と活動してた時代。
思えば、苦しいけれど、懐かしい時代である。
プロ教師の教える社交ダンス・・・・
「下を見ないで、斜め上(2階席)を見て踊りなさい」
「背中に鋼鉄の軸を作り、崩さないように踊りなさい」
「カウントを口ずさみながら、外さないように踊りなさい」
それが、多くのプロ教師が教える社交ダンスだな。
「風俗営業法適合ダンス」と言ってましたけどね。
多くのプロ教師がいう、
「ダンスは、音楽に合わせて、踊るモノ」
「音楽を外したダンスを踊ってはいけません」
というのは、概ね正しい。
間違ってはいない。
じゃあ、プロ教師に習ったダンスを、
音楽が無いところで踊ったら、どうだろうか?
たぶん「楽しくない」し「すぐに飽きる」はずです。
音楽がなければ、楽しめない社交ダンスは、
所詮「足型ダンスの延長」のような気がします。
じゃぁ・・・・・
音楽が無くても「楽しい」「面白い」「勉強になる」と感じる、
「社交ダンスのカラダの使い方」は、存在しないのだろうか??
「社交ダンスのカラダの動き」が、高度なものであり、
高いレッスン料を貰えるだけの「価値のあるもの」であるならば
音楽があろうが、無かろうがなかろうが、
男女二人で、カラダを動かしているだけで、楽しいし、面白い。
「社交ダンスのカラダの動き」というのは、入念に研究された
ものであり、とても合理的なモノであり、音楽があろうが
なかろうが、カラダを動かしているだけで、面白い。
ほんとうの「社交ダンスのカラダの動き」というのは、
そんなもんだと思います。
そんな社交ダンスには、夢と希望があると思いませんか?
どうでしょうか?
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